愛知県一宮市の一宮市民会館、「英語も強い!フミ先生の理数個別教室」を開いているフミ先生です。
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「正しい勉強法」と聞くと、いつもうさんくさく感じてます。最近は、エビデンスに基づいた、という言葉がもてはやされていますが、今の正しいと言われていることって、10年たったら、「まだそんな古いつことを!」なんてことになっているかもしれません。ホンマでっかを見ていると、よくそう思います。もっとも、ほんまでっか!?という姿勢で見てほしい番組のようですが・・・
勉強に正しい方法があるとしたら、本居宣長さんが残してくれた言葉ほど、正しいものはないと思っています。
221年前の勉強のしかた~本居宣長さんが「うひ山ぶみ」で教えてくれたこと。
なんだかんだ言っても、勉強は時間をかけて、さぼらずに、がんばってこつこつ続けることが大切で、学び方はどのようでもよく、そればかりにこだわってはいけない。どれほど学び方がよくても、さぼれば効果はない。才能は生まれつきのものなので仕方がない。しかしたいていは才能がなくても、さぼらず、こつこつ続けさえすれば、それだけ成果は出るものである。遅く始めた人も、こつこつはげめば、思った以上に成果が出ることもあるし、時間がない人も、思った以上に、時間がある人よりも成果が出るものである。だから才能がなかったり、時間がなかったりしても、あきらめてやめてはいけない。とにかくこつこつやればなんとかなると心得るのがいい。あきらめることが、勉強にいちばん悪い。
(1798年、宣長69歳)【フミ訳、間違っていたらご遠慮なく指摘してください】
この文章にすべて言い尽くされていると思います。宣長さん、本当はこんなことを書きたくなかったみたいです。というのも、最近の人は、やたら勉強法を聞きたがるらしくて、いいかげんうんざりしていたのだが、どうしてもとこわれて・・・みたいです。
いつの時代も同じです。そして、この同じところに「何か」大切なことがあると思います。変わっていくことのなかではなくて。そもそも勉強内容は、社会の変化に応じて、変わっていくので、その内容についてならば、変わり続けていきます。
しかし、人間の脳の進化はそれほど早くないはずです。それは古典を読めばわかる。1000年前の文章を読んで分かるのは、心はそれほど変わらないからでしょう。だったら、そっちに目を向けないと、意味がないでしょう?と私も思います。
今日書いたことは、だいたい小林秀雄の言葉の受け売りです。受験でも扱われる近代評論を確立した人ですが、肉声がYou Tube でも聞けます。
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